2024年5月3日(金)
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ベトナム戦争に参戦した韓国軍による民間人虐殺問題から自国の加害性・歴史・戦争被害者の連帯などを扱った本作「記憶の戦争」の上映会を随時受付中です。
お問合せ先 contact@sumomo-inc.com
Introduction
2018年4月 とある市民法廷がソウルで開かれた。
法廷に立つベトナム人女性のグエン・ティ・タン。
彼女は<フォンニ・フォンニャットの虐殺>の生存者である。
8歳の時に家族を失い孤児となった彼女はその記憶に涙を浮かべる。
あの日、一体何が起こったのか…
あの日の出来事を目撃したディン・コムは身振り手振りで当時を再現する。あの日の後遺症で視力を失ったグエン・ラップはこれまで語ることのなかった記憶を絞り出すように語る。
一方、“参戦勇士”と称された韓国軍人たちは
「我々は領民を殺していない」と主張する。
監督のイギル・ボラは女性の製作陣とともに
「ベトナム民間人虐殺」の記憶について当事者たちの生々しい証言を記録し、衝撃的で、勇敢で、優しい
傑作ドキュメンタリーを誕生させた。
Director
監督 イギル・ボラ Bora Lee-Kil
聾者の両親のもとに生まれたことが、天賦の才を得たと感じ、語り手として自覚し文章を書いたり、映画を撮り始める。
8歳からはCODAとして聾者の通訳を始める。
成績優秀だった18歳の時、高校を中退してクラウド・ファンディングで集めた資金を手に東南アジアを旅する。その旅行記「道が学校だ」(2009)と「ロードスクーラー」(2009)を出版し話題になる。
帰国後、難関の韓国芸術総合学校に入学し映画製作を学ぶ。
自らの両親を温かい視点で描いた『きらめく拍手の音』(2014)を製作。
同作は第14回山形国際ドキュメンタリー映画祭へも出品、第8回女性人権国際映画祭では観客賞を受賞した。
2019年にオランダ・フィルムアカデミーを卒業後、ベルリナーレ・タレンツ2020に選出された新プロジェクトが進行中。現在はソウルと福岡を拠点に活動している。
記憶の戦争
英題: UNTOLD 原題: 기억의 전쟁
配給: スモモ マンシーズエンターテインメント
(C)2018 Whale Film
Comment
日本から差別、占領・統治されたいた韓国。
その韓国軍兵士達が、ベトナムの村で虐殺を行った。日本は、韓国をはじめアジアを侵略したが、アメリカから原爆を落とされた。加害と被害のアンヴァレンツを併せ持つヒトという、厄介な生き物。
この超難問からは、誰も逃れることはできない!
原 一男
映画監督
監督を含め、若い世代の韓国人たちが負の記憶に正面から向き合い、未来につないでいこう
としていることに感動しました。ベトナムにおいても、国家に貢献した兵士らと違い、虐殺の憂き目に遭った民間人には、補償はありません。それらの最も弱い立場の人たちに寄り添おうとする姿勢に学びたいと思います。
伊藤正子
ベトナム研究者『戦争記憶の政治学-韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題と和解への道』著者
韓国人であるイギル・ボラ監督がベトナム戦争で韓国兵に虐殺された民間人の生き残りを取材し、記録していく姿勢に圧倒されました。
記憶を証言する村人たちも、幼くして孤児となった女性、視力を失った者、言葉を話せない者と、これ以上はないほどの弱き者たちで、よくぞ彼らにたどり着き寄り添い、証言を引き出したことに深い敬意を表したいと思います。
平松恵美子
映画監督/『あの日のオルガン』
オセロの白と黒のように、私たちは加害者にも被害者にもなり得る。映画が記憶したのは韓国軍によるベトナム民間人への虐殺の歴史だ。しかし、時折漏れ聞こえる「日本」という単語に、日本人である私も、アジアの歴史の紛れもない当事者であるとハッとした。
これから私たちは、何を記憶し、隣り合う人々とどう対峙していけばいいのだろう。本作品が日本で上映されることの意味を、私は一観客として、皆と語り合いたいと思った。
佐々木美佳
映画監督/『タゴール・ソングス』
50年前、8歳だったタンおばさんの記憶はずっと鮮明だ。
何度だって自分たちの身に起こった話ができる。
でも、その度に深く傷つき、心は抉られ、血は流れ続けている。
事実を認めて謝ることで、どこの誰にどんな不利益があって、それがなんだっていうんだろうか。どうか手を握ってほしい。わたしは握りたい。
イギル・ボラ監督とクルーたちの、全身を使って「ただ聞く」という姿勢に、感銘を受けました。
山中瑶子
映画監督/『あみこ』『魚座どうし』
8歳の記憶、あなたは何を覚えているだろう。
お気に入りのワンピースを着て行ったディズニーランドで見たパレードの光、友達と蝉取りに夢中になっていたあの日。私の中にはその記憶が8歳当時のものだったのか不確かなままのものが浮かぶ。
しかし、タンおばさんの記憶は今でも鮮明だ。
彼女はその記憶を1日も忘れたことはない。それは、彼女自身が生きる意味を問い続けてきた記憶だから。生きてその記憶を伝えてくれたタンおばさんに感謝する。
伊藤詩織
映像ジャーナリスト
ベトナム戦争の数多くある痛ましい民間人虐殺事件の一つを丹念に取り上げた貴重なドキュメンタリー。この映画では、日常生活のなかでのベトナム人当事者の証言と祈りの姿が粛々と重ねて描かれているのが印象的。ベトナム戦争における韓国軍の虐殺に対する立場・考え方は韓国でもベトナムでも多様であることをあらためて認識させられた。聴覚障がい者をオーラル・ヒストリーの語り手とする類まれな手法にも感嘆。
今井昭夫
東京外国語大学特任教授
ろうの両親をもつイギル・ボラ監督だからこそ、ベトナム戦争で韓国兵に虐殺された、ろうの民間人の声をすくいとることができた。監督が撮ろうとしなければ歴史の影に埋もれたであろう、その声。手と表情と筆談でつむがれる語りの一分一秒が、同じく手話を言語とする私にとってひどく貴重なもので、目を離すことができなかった。声をすくいあげてくれて、ありがとう。
齋藤陽道
写真家
振り絞るように語られた彼女たちの声に、耳を傾けなくてはならない。
そしてその声を聞いた者たちは、自らに問いかけなければならない。
彼女たちが見たものと、負った傷と、自分は無関係であるのかということを。
「若い世代は何も知らない」– それでいいとは到底思えないのだ。人間として。
瀬尾夏美
画家・作家/『二重のまち/
交代地の歌を編む』
「自分たちに責任はない」「むしろ現地の発展のために貢献した」 ...聞き覚えのある言葉ばかりが飛び交った。 暴力は地続きで、凄惨な虐殺も加害の否認も、日本軍の時代から連鎖しているのだろう。
安田菜津紀
NPO法人Dialogue for People副代表
フォトジャーナリスト
どの国にも、歴史の汚点がある。
加害側に都合よく歪められた証言が、社会の無関心が、それをなかったことにしようとする。
ベトナム戦争時、韓国は米国に参戦して派兵した。
映画に登場する、虐殺を否認する軍服姿の老人たちは、この国の合わせ鏡だ。
イギル・ボラ監督は、この絶望を、映像詩のように美しく見せる。
過去の出来事を、リアルに感じさせる。
同時に、今を生きるサバイバーの姿、彼女らに寄り添う加害国の人々、美しいベトナムの風景や日常を通して、月夜に咲く一輪の花を見た様な気にさせられる。
坂上 香
映画監督/『プリズン・サークル』
全ての記憶を思慮深い視線で見つめたこの映画は、
恐ろしい記憶を抱えながらも穏やかなベトナムの姿を見せてくれる。
「記憶の戦争」は、つくられた事に感謝したい映画
キム・ボラ
映画監督/『はちどり』
美しくカラフルなベトナムの村に刻み込まれた虐殺の記憶。
「記録」にはないけれど、「記憶」にはある。
たとえ歴史の上では戦争が終結しても、その村の人々にとっての戦争はまだ終わっていないことを、映画は伝え続ける。
美しい映像とともに語られる生々しい証言。
虐殺の存在や責任を否定する兵士たち。それらがこうしてひとつの映画になることも、ある種の回復と救済になるのかもしれない。
後半は、加害者と被害者という単純な構図を超え、戦争というものが人を鬼にするだとということを改めて考えていた。
川内有緒
ノンフィクション作家